4月24日、終日忙しく、今日は外へ出るのは難しいかなと思ったのですが、夕方6時過ぎに辻に立ちました。身の程知らずにもハンナ・アレントの「悪の凡庸さ」に言寄せて、わが国の民主主義の危機を訴える、という難しい課題に挑戦しました。

お上の決めたことを何も考えずにその通りに賛成したり、積極的に賛成しなくても仕方がないかと思い、またその逆に何でも反対したり、あるいは判断そのものを放棄したりしていては、民主主義は健全に機能しないと言えるでしょう。

例えば近年、投票率が50%以下という選挙も多くありますが、ということは、半分以上の人が政治参加の自由を放棄しているわけです。
また、投票している人も、数多い候補者(特に市議選などの場合)の中で、どの人を選ぶべきか、判断する材料が少なすぎると思います。
結果、その人の訴えている内容ではなく、町内会で推している人だからとか、親しい人から頼まれたからとか、単に有名だからとか、で、多数を得た人が当選してしまう、ということが多いかもしれませんね。

「誰が正しいか」ではなく、「何が正しいか」を考えて、判断し、選択する国民を増やさなくては、「自由・民主・信仰」と言っても、単なるお題目に終わってしまうと思うのです。
民主主義が正しく機能するためには、「考える人々」の存在が不可欠ということです。

そして、そのためには考える材料が必要です。
その、考える材料を提供するのが、本来、マスメディアの使命であるはずです。
しかしそのメディアも、例えばこぞって消費増税に賛成(もしくは止むなし)と言ってみたり、立党間もない某政党(弊党のことですが)については申し合わせたように(申し合わせたんだと思いますが)ほとんど報道しなかったり、あたかも国民の「知る権利」を奪っているかのようです。
我が国の民主主義が正しく機能しない責任の一端(というか、かなり大きな責任)は、マスメディアにもあると言えます。
なんと言っても、マスメディアは、民主主義の守護神でなければならないはずです。

そして、信仰もまた、自由と、民主主義を守る、最後の砦と言っても良いでしょう。
この世における諸自由の根源は、信教の自由であり、信仰告白の自由に淵源を持つものですから。
そして何より、人権の根拠とは、即ち人間という存在がなぜ尊いのかという答えは、突き詰めれば、神仏から岐れて来た神仏の子であるから、というところに求めるほかありません。
唯物論からは、人権が尊いという真の理由を見いだすことができません。だから、オン・デマンドのような形で、罪人の臓器を移植のために取り出す、ということを平然とやってのける某共産党大国のような国も出てくるわけです。
ゆえに、信仰は、自由や民主主義と矛盾するものではありません。
「信仰」というと、思考を奪って、いわゆる「洗脳」するもの、と思い込んでいる方もいらっしゃるかもしれませんが、そんなものは邪教であって、本物の宗教ではありません。
「洗脳」という意味では、唯物論の方がよほど強い洗脳力を持っていると言えます。その意味では、「宗教はアヘンである」といったマルクス主義自体が、唯物論という名の“邪教”といっても良いかと思います。
少なくとも幸福の科学では先述の通り、「誰が正しいかではなく、何が正しいか」が大事だということが繰り返し言われており、洗脳型宗教とは一線を画しております。
だから、大川総裁と好みが違っても、粛清されることはありません(笑)。

 


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