「鬼手仏心」という言葉があります。
集団的自衛権の行使を容認することは
「国民が戦争に巻き込まれる!」という恐れを抱かせる鬼かヒトラーかというような怖いことのようにも見えます。しかし結果として国民を守ることになるなら、それは仏の心のごとき慈悲であると言えます。
これとは逆に、「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉もあります
一見優しく、耳に聞こえのいいことであっても、堕落へとつながる場合もあります。
保護や補助も過ぎれば怠け者や努力せずして結果だけを手に入れようとする人々を生み出し、 結果として不幸な人々を多数生み出すのみならず、国家そのものを傾けてしまうこともあります。

集団的自衛権については、憲法の解釈変更ではなく、「憲法改正から入るべきだ」というマナーの問題をあげつらう方もおられます。
それはその通りかもしれませんが、結局、行使を容認
したくない勢力の先延ばしのための言い訳に使われるようならば、やはり国民を守れないことになります。
また、ローメーカーたる国会議
員が、裁判所のようにあまりにも細かいことを審議し続ける状況が続けば、ますます国民には何が大事なのか、その本質が見えにくく、分かりにくくなりますし、結局、国防の備えが後れることになります。
法律を定める場合、「すでに起きた(悪しき)こと」を規制するためのものが多く、未来に起こりうることを想定して法律を作ることは極めて難しいように思えます。ここは行政府がリーダーシップをとって、リスクを背負って、創造的に未来に備えた方がよいでしょう。

総じて、反対派や(改憲から入るべし、とする)慎重派は、中国の脅威をあまりにも軽く見すぎている傾向があるように思いますし、脅威は感じながらも、そんなに急なことはあるまいと高を括っているようにも思います。
しかし、現在進行形で中国の侵略の歩武は進められており、侵略され自治区になった地域に住む少数民族は大変な迫害や弾圧を受け、根絶やしにされようとしております。
そんな国に、日本の70年以上前の(ありもしなかった)侵略や虐殺をあげつらう資格はありません。
もし日本が前非を悔いるとするならば、戦後70年の武士道精神を忘れて町人国家と化し、隣国の不幸を見て見ぬふりをしてきた(見ようともしなかった)腰抜けぶりを悔いるべきであり、その反省の下に、アジアの平和と自由を守るためにアジアの盟主として立ち上がるべきでしょう。

安倍政権による、「集団的自衛権の行使容認」という閣議決定は、「勇断」と言ってよく、少なくともここ20年はなかった、チャレンジングかつリスクテイキングで創造的な政治だとは思います。
しかし、それでもまだ「中華帝国主義」の野望に対する備えとしては、十分なものではなく、次の(いつになるかは予断を許しませんが)総選挙においては今度こそ、ぜひとも「憲法改正」を最重要課題として掲げていただきたいものです。

平和を守るためには、守るために戦う人が要る、というのも歴史の鉄則と言っていいかもしれません。
そういう使命を担う人々は、国民から尊敬されて当然であり、それこそ“グローバルスタンダード”でありましょう。
命を賭けてわが国を守っておられる自衛隊員の皆さんが、いつまでも鬼子扱いされていいわけはありません。


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